冬季オリンピックといえば、ソチのとき。
保育園の結果で落ち着かない中を、寝返りするかしないかの娘と一緒に、見ていたっけ。
あれから4年。
ずっと活動し続けてに、しかもトップにい続ける選手たちがたくさんいるには感嘆しかない。
いったいどんな時間を過ごしてきたんだろう、どんなことに笑って、どんな言葉を紡いできたんだろう。
フィギュアスケートは、学生だったころ、熱烈なファンたちが周囲にいた。
どれくらい熱烈かというと、国境を越えて試合を見に行くくらいの。
私はいくら教えてもらっても、3つのジャンプの飛び方の違いさえわかるようにならなかったけれど。
フィギュアファンの彼女たちから、フィギュアスケートの選手たちにまつわる、もろもろの「すごさ」を耳にした。
でも、彼女たちから聞く、どんな裏話よりも、うわさよりも、うんちくよりも、記憶に残っていることがある。
学生時代の仲間の一人が、心の不調でしばらく学校に姿を見せなかったあと、
「布団の中にしばらくいたけど、その布団の中でフィギュアスケートを見たとき、この人たちはこんなに自分の限界と戦って、それを超えていって、なんてすごいんだろうと思った」といいながら、復帰してきてくれたこと。
彼女の言ったことは、よくありがちなシンプルな感慨かもしれないけど、でもなんだか忘れがたくいる。
その彼女が、「子どもを持つのは来世でいいかな」、と言っていたことも、あわせて思い出す。
情熱はどこにあるんだろう。
今、私が見ているフィギュアスケートのリンクの壁に書かれている「하나된 열정」というハングルは、日本語にすると、ハナデンヨルジョン、と読んで「ひとつになった情熱」という意味なんだけど(私の韓国語が間違ってたら失礼)、これはなんともいい言葉だなと思っている。
ちょっと情熱から距離をとったところに、今生きてる。
でも情熱も熱狂も、たぶんすぐ近くにある。