つまがたり

どうでもいいことを、あーでもないこーでもないと大真面目に。2児の母が、悩みながら考えたことをつづりつつ、どうにか前に進もうとするひとり語りブログです。

母親が「おばちゃん」の呼称を譲り渡してくれない

「おばちゃん」、

と呼ばれるべき年齢に自分が入っていることは理解している。

でも、私の友人たちが私の子どもに話しかけるとき、「おばちゃんがね」と、一人称をおばちゃんにするのに、私はすごくすごく抵抗を感じる。

あなたがおばちゃんなんてとんでもない!と私は思うから、娘には彼女らのことを「**ちゃんのママ」としか呼ばせられない。

友人たちは自分から進んで一人称をおばちゃんにできるくらいなので、おそらくまったく気にしていないのに、私だけがひとりこじらせているのかもしれない。

そして私も自分のことを「おばちゃん」とは自称できないおばちゃんである。

 

その理由は、

自分の母親が、まだ「おばちゃん」の呼称を手放さないからなのだろう。

 

私の母は、近所の花屋さん(母の仲良し)からもらったおやつを「花屋のおばちゃんからもらったよ。お礼言ってね」と言って娘に渡す。

花屋さんは若く見えるけれど、孫もいる「おばあちゃん」である。

「花屋のおばあちゃん」、じゃすわりが悪いから「花屋のおばちゃん」なのか。

そして母の、花屋さんのお孫さんたちに向けての一人称も、やっぱり「おばちゃん」である。

(もしかしたら2人は「おばちゃん呼び協定」を結んでいるのかもしれない。)

 

結局私は、

母親たち世代と自分が同じくくりに入るのが納得がいかないんだろう。

私がおばちゃんになるなら、あなたたちはおばあちゃんに繰り上がってくれないと困る、と思っている。

自分を育て庇護してくれた存在と、自分が同じくくりに入りたくないと、甘えているんだろう。

 

いまや、私も母も、どっちも同じ経産婦。

子どものころは、くっきり、はっきり引かれていた、母親と私を隔てる線は、年月を経てすっかりかすれてきた。

 

私は母が27歳のときに生まれた。

私が65になったら母は92。

どちらも立派なおばあちゃん…、いや、私はそのとき「私はまだおばちゃんだから!」と抵抗して言うのだろうか。

 

ある年齢を超えたら女性はずーっとおばちゃん、というのはある意味平和なのかもしれない。

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