娘は今、数字の練習をしている。
8の字には、昨夏、相当苦労した。
たくさんたくさん練習してもなかなか書けなかった。
ワークシートの練習だけでは書けるようにならず、A4サイズのコピー用紙に何度も書いた。
それでもなかなかかけなくて、なぜか○が3つ重なって、オラフのような姿の8になっていたのだが、今探してもその紙はない。
少しマシになった8だけが出てきた。
こんなふうに。
8の字、線がクロスするところはとても難しかったようで、
左のほうに私のいたずら書きがある。
ほら、こうやってやればいいんだよ。雪だるまができるよ。お魚ができるよ。と言ってみたらしい。
娘の「8」はこの時点でも、だいぶ怪しいけれど、とりあえず○がふたつ重なった形にはなっている。
この紙にはもう、○が3つのオラフ状態の8はない。
今はちょっと思う。娘の、「オラフの8」の紙を残しておけばよかったな。
つい数ヶ月前自分が書いたオラフの8を見せたら、娘は笑ったのかしら。
意味の世界へようこそ。
娘の8は「8」だ。
8を書くときは「8」と書く。
もう娘は、オラフの8を書かない。書けない。
娘がまだ「できない」こと、そのことを愛でるのは難しい。
ひらがなでも数字でも水泳でも、私はできるようになれ、なれ、と祈り、言い聞かせ、叱咤し、説明し、怒り、褒め、なだめすかし、なんとかできるようにさせようとしてる。
自分がとても愚かに感じるけれど、結局それしかできてない。
いつかはできるようになるんだから、と、できない今を愛でて、何も言わず、信じて笑って待てたらどんなにいいか。