正月にTVを見ていた。
「久保みねヒャダ明けましてこじらせナイト寿スペシャル」で、久保ミツロウさんが言ってたこと。
自分は何かに向かって、それに努力できてるかできていないかをちゃんと毎日計測すべきであると。
で、体重計に乗らない2ヶ月の間で、一年間コツコツ減らしてた体重が全部戻ったので、だめだ、目標大事だ、と思う。
努力しているかどうかはともかく、計測し続ける。意識はどこに向かっているかを持っておかないと
努力しているかどうかはともかく、計測し続ける。
これがとっても胸に響いている今日この頃。
なお、久保さんは体重のことを念頭において話していたようである。
うん、私も今、妊婦みたいな体重だから、すごくわかるな…。
おかしいな、昨夏ちょっとやせたのに。
娘に「ママ、太っちょ」って言われたよ。
努力できないときも計測し続ける、ということ。
努力と計測はセットであり、努力する者にこそ、計測する権利があるのだ…と私は思っていた。
努力しない人には、計測のチャンスも与えられないと勝手に決めてた。
さらに計測して出てきた結果は記録し、次につなげるべきであると。
狭量である。
逆かもしれない。
努力するから計測する権利があるのではなく、
計測し続けるから、いざ何かやろうとするときに、努力ができるのかな。
そして、別に結果を記録しなくてもいい。
軽い気持ちで計測しておくだけだって、いいのかもしれない。
計測と努力は関係がありそう。
そもそも、計測にも努力がたぶん必要だ。
計測しつづけるためには、待機電力くらいの努力消費は必要な気がする。
だから結局はいつでも目標を持ち、それを忘れないこと。
そして、目標地点から現時点までの距離がどれくらいなのか、計測し続けるだけの努力の出力は失っちゃいけないということか。
そうやって待機電力並みのかすかな努力をケチらずに出力して計測し続ければ、いざ努力しようと思ったときに、本気のエンジンがかかるのかも。
目標
それから、同じく久保さんが言っていた、下記のこともすごく心に引っかかってる。
自分の目標とかに「**しない」って、否定形でしか話したくないって思っていることって、一番最悪な形で返ってきちゃうって、しっぺ返し来るって言ったじゃないですか。
だから私だったら、何で「久保ミツロウ」にしたかって言ったら、性別を気にして漫画を読まれたくない、ってそのときは思ったから、あえて、どっちでもいいように「久保ミツロウ」って名前にしたら、結局後で顔出しとかしたときに、やっぱりなんか、男の名前なのに女じゃん。みたいな感じを、すごい来て、ああ、「**って思われたくない」っていうのは結構一番いやな形で帰ってくるなと思うから、もう、いっそそこの先の、「じゃあ自分はどう思われたいか」を打ち出すまでが、結構、夢を考えたり、何か、自分の目標を持つときに大事なことなんじゃないかなあ、と最近強く思うことがあってね。
自分はどう思われたいのだろう。
2年前に退職してからというもの、それがない。
そのことが、そこはかとなく、つらい。
こうは思われたくない、というのはある。
専業主婦を楽しんでいない、退職したのを後悔してる、と私は思われたくない。
実際、生活は楽しいし、退職したことについても、うん、それ以外の選択肢取れなかったよね!と思うくらいには納得しているけど、積極的にエンジョイしてるか?といわれると、なんだかごにょごにょ…となる。
どう思われたいか。
こういう自分になりたい、こういう生活をしたい。
それをはっきりさせるのは、おそらく今年の裏テーマ。
オサレつま子になりたいな。