無類の炭酸好きなのだ。
なのでほとんど楽天セールのたびに炭酸水を買っているのだけど、ある朝、夫が「ソーダマシンを買うのはどうか」「そうでなければ、炭酸買うのは、ふたケースまとめてではなく、ひとケースごとにできないか」と言う。
なぜかというと、炭酸水の連なった2ケースを、キッチンに運ぶのが重いのだと。
そして、いつも炭酸を届けてくれる郵便局のおじさんがよたよたと運ぶのを見るのも忍びないのだと。
↓これが我が愛飲の炭酸水。
いつもふたケース、500mlが24本入ったダンボールが2つ連なってやってくる。
重い?
単純に1本500グラムとしたって、24kg。
そりゃ重いわけだ。腰にこないわけがない。
私の炭酸水ライフは、夫や郵便配達のおじさん、その他見えない人々の支えで送れていた。
でも私は、ソーダマシンがほしいのではない。
空になったらその場で捨てられるボトルを持ち歩ける手軽さが好きなのだ。
そして、ふたケースだから送料無料なのであり、ひとケースで買ったら送料無料じゃなくなる。
送料払ってひとケースで買うほどの度量はない。
そして夫は「ごみがたくさん出るのも好きじゃない」と言った。
ああ、それはそのとおりだと思った。
それにしても炭酸水には、すくわれてきた。
喉への刺激で、ストレス(主に育児の)が緩和されていたから。
その効果にびっくりした。
今でも、あっ私いらいらしている、と思ったときには、反射的に炭酸水に手を伸ばしたくなる。
それで炭酸水のキャップを開けて飲んだら、ふっと気分転換ができている。
そういうものとして、ずっと炭酸を買い続ける生活を続けるつもりでいた。
けれど。
夫の言うことはもっともだ。
止めてみようかな。
炭酸なしだとやっていけない、と思い込んでいるだけなのかもしれない。
すごい金額を費やしていた件。
炭酸水は、育児中心の生活で数少ない娯楽であったから、限度を設けずに、どれだけ飲んでもどれだけ買ってもいいことにしていたのである。
数字を確認してみた。
2017年の炭酸注文数は14回。
金額にすると33,430円。
本数にすると実に672本。
一日約1.8本。
(言い訳がましいけど、夫も愛飲者。私ほどではないけど。)
個人的には、3万円越え、が一番びっくりする。
炭酸水に3万円。
その価値はあったか?といえば、確実にあったと言いたい。
暗くなった道を子供たちを乗せた自転車を漕いで帰らなければいけない帰り際に、
あとひとふんばり子どもたちにパジャマ着せて寝かせればこちらも眠れる風呂上りに、
どうしても食べたい夜中のカップラーメンのお供に、
昨日の食卓がまったく片付いていない朝の起き抜けに、
炭酸水は(たぶん)「がんばれ」と言いながら私の喉を流れた。
誰かに依存しているシステムは弱い。
と言ったって、野菜も米も、肉も魚もその他いろんなものを誰かに依存しまくって生きてるんだけど、できればそういうのが少なければ少ないほどいいと思ってる。
もうすでに炭酸なしでは生きていけないような体に半分なっているような気がするけれど、今ここが変え時なのかもしれない。
しょうがないから麦茶に手を伸ばす。
麦茶もおいしい。
でも麦茶はシュワシュワと言わないんだよな。
でも麦茶もおいしい。
やがては、「白湯があればそれでいい」と言えるおばあちゃんになりたいや。
まだ今は自信がない。
特に夏は。夏は許してくれ。
夏は、夫と郵便局のおじちゃんの力その他たくさんの方の力を借りて、私はまた炭酸水に手を伸ばすと思う。すみません。